2014年7月久しぶりの朝一番のフェリーで礼文島に渡りました
2日間島で過ごし、その後バスで札幌まで、その日は
おーちゃん宅にお世話になる事にしていましたので、そのまま千歳に移動しました。
明日は文夫さん宅におじゃまするため、夕方電話を入れたのです。
私は何も知らずに、いつもと変わらず電話をかけました。
信じられない言葉が文夫さんから帰ってきました。
「ビックリするなよ」と言われ
「母さん、亡くなったんだ」っと告げられたました。
私は、気が動転して、頭の中が真っ白になり訳がわからなくて、ただただ
「嘘でしょ、嘘やー、嘘やー」とばかり叫んでいました。
1週間前に電話で文夫さんと話した時、文夫さんは、「母さんいるよ」と言いました。あの日は母さんが亡くなった日で、施設から自宅に母さんを連れて帰った直後だったそうです。
偶然に私が虫の知らせのように、電話をかけたようでした。
実際に、母さんはあの時、部屋に居たのです。眠ったままで
文夫さんは、こう言いました。
これから礼文島に行こうと思っている時に、母さんの事を知らせられなかったと
亡くなった事を伝えると、行けないだろうと
私は、島で母さんに出会っていたのかも知れません。なぎさの玄関前に座り、ヘルパーの頃を思い出していました。
母さんに、「ちんちゃーん」と呼ばれている気がして、近くにいる感じがして、母さんの魂は礼文島に帰っていたのかも知れないと思いました。
次の日、母さんに会いに行きました。
あまりその時の事は覚えていませんが、泣いてばかりで、「母さん、母さんー」と写真に向かって呼び続けていました。
こんなにも、悲しい再会になるとは思いもしませんでした。ただ礼文島に行かなくてはと思ったのも、
偶然ではなく必然だったのかも知れません。
母さんに呼ばれたのかも知れません。
後からそう思えてなりませんでした。
母さん、久しぶりに会えましたね。
今はゆっくりと休んで下さい。
母さん頑張りましたね。
お世話になりありがとうございました。
皆んな母さんの事忘れていませんよ。
今度、礼文島に行ったら、会いに行きます。
「おかえり」と言って下さいね。
母さんが亡くなって、2年目の夏を迎えます。