なぎさのミーティング

忘れないで♪♪礼文島民宿なぎさの事

同級生のよう

皆さん、こんばんは〜
手術から一ヶ月、切り口もだいぶ肉が盛ってきました。穴はなかなかふさがりません。
ご飯粒が入り込み気になるのですが、あと少しのしんぼうです。

さて、なぜだかわかりませんが、今年は中学や高校時代の友達に会うことが多く、それも偶然がほとんどです。もう、何年ぶりかわからないくらい会っていない人ばかりにです。

今日も、見覚えのある顔に思い出がよみがえってきて、もしかして〇〇さんかな?     でも、人間違いやったら困るし
とおもいながら、すれ違いざまに〇〇ちゃんやんな?と声をかけると、向こうもやっぱり〇〇ちゃんやんな?と返事が返ってきてお互いもしかして??と思っていたようで‥‥
話が止まらなくなり、仕事中だという事を忘れてしまいそうになりました。

地元にいるからでしょう。こうやって偶然、何かの巡り合わせのように出会えました。そして、懐かしい友達に会える、会話が出来る、懐かしい話が出来る地元はいいですね。

遠く離れていても、なぎさの友達とは会うとすぐ昔に戻れます。地元にいるような、同級生に会うような同じ感覚になるのがなぎさの友達(お客さん)です。
何故なんでしようね(^_^)v

読んだ本

皆さん、こんばんはー

なぎさでは、12時就寝4時半起床という💦
密な時間を過ごしておりましたが元の生活に戻ると規則正しい生活は遠のくばかりです。

今回の入院は良い機会でした。早寝早起きが出来たからです。
そして時間は存分にあるので、読書が一番です。話題になった近藤誠先生の本を読んでいました。

有名なのが「患者よ、ガンと闘うな」です。医師からの反発もすごいようですが私はあまりよく知らずに読んでいました。

抗ガン剤治療は止めなさいと言うもので、ほとんどのガンに抗ガン剤治療は無意味、副作用に苦しみ身も心もボロボロになるだけです。
そして命の保証はなく、ガン細胞が消えるわけではありません。

ガン細胞には2種類あり、転移を繰り返すものと、そうでないものがあります。治療や手術をしても、転移するものはすでにしています。

そしたら、ガンになったら死ぬしかないのって思いますよね。

今私はガンという病気になっていないから言えるのかも知れません。
本を読んで思った事は、闘わなくても良い、抗ガン剤治療をしない道もあるという事。それは命を放棄するという訳ではなくて、やはり自分の人生をどうしたいのか、自分の病気と向きあい、どう生きたいのかしっかりと考えないといけないという事だと私は思いました。

そして自分の身体と向き合う事です。身体が悲鳴をあげていませんか?
無理していませんか?
一度向き合ってみようと思いました。

ブログ名決定

みなさん、こんばんは〜
なぎさのヘルパーをしています。
名前はちんさんと言います。

で自分の自己紹介が始まりました、なぎさのミーティング。懐かしいですね。

ブログ名をどうしょうか...となかなか決めれずにいましたが、これだ!っと
ハッとひらめき決めました。
ブログ名「なぎさのミーティング」

ミーティングで皆さんの前でしゃべってるつもりで書いて行こうと思います。
焼酎の番茶割りを飲みながら、昔を思い出してみて下さい。

生きるエネルギー

手術から無事生還し、2日目です。天気が良く、太陽の光がまぶしくて、生きるエネルギーをくれます。細胞が生き返る感じです。
全身麻酔のふらつきもましになり、景色がいいよと、他の患者さんに教えてもらったので、病院の10階まで上がってみました。もちろんエレベーターですよ。

さて、取り出した病変は肉の塊のようにベロンとしていたらしいです。私は、意識がなくて見ていません。抜いた奥歯は記念に写真に残しておきました。50年間ありがとうと言って、看護師さんに処理をお願いしました。

口の中を舌で触ると、縫った糸がたくさんあるようです。切った歯茎の所には、ほっぺたの肉をかぶせています。
先生がそう言っていました。病変の周りはだいぶ傷んでたらしいです。




上顎嚢胞(じょうがくのうほう)

今、入院してます。
上顎嚢胞といって、奥歯にウミがたまり大きくなりました。大きくなった塊が上顎にある空洞(副鼻腔)を押し上げています。
その塊を取り除く手術です。
また板の上の鯉になって、先生に任せるしかないと皆んなにいわれましたが、まさにその通りで、さばかれる前の魚のような気分です。
目が覚めれば終わっているのでしょうが
違う世界に行っているかもしれませんから、これも経験です。
しかし、歯は大事です、強烈に痛かったのが去年の6月頃で、痛み止めの薬を飲めば治っていたので、虫歯か疲れかな?と思っいたら、膿が出てくるようになり歯の治療をしても治まらず、レントゲンを撮ると4センチのかたまりが映っていました。先生に「手術ですね」と即答され待つこと1カ月、その日がやってきました。

祝20年

さてさて、もう2年前になりますが
2014年は祝20年となった事もあり、再会がなにかと増えた年でした。1994年はなぎさで長期休暇をすべて使い果たし、更に1日休みを伸ばし礼文島を離れた年です。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、26泊27日目にして島を離れる事となったのです。あれから20年、考えてもみませんでしたがその時なぎさで出会った人達と繋がって来れたのです。それってすごい事だと思ってます。
そしてその後も、色々な事がありました。

永遠にいるよ

元旦そうそう尾崎豊のライブ映像を見た。偶然だったけれど、20代の彼と出会った頃が鮮明によみがえってきた。

同い年の彼は、いつも夢や希望や人生、愛することをメロディに乗せて歌っていた。孤独を彼と分け合えるような気がして彼の歌が好きになった。
そして自分の夢って何?いつしか自分に問いかけるようになっていた。
 
今おぼえば、彼は自分の魂を削り歌を作っていたのだと思う。だから忘れる事は出来ない、心の中にいつまでもいつづけている。

どこかの街の片隅で君が幸せであるように本当に心からそう祈っているから、力強く生きて欲しい。ぼくはいつでも、君たちの心の中にずっと永遠のものとしてい続けたいと思っている。尾崎豊
f:id:rebunalaskaswiss121:20160113005108j:image
尾崎豊の死は礼文島に行くきっかけともなりました。